AI内製化の主役は誰か──日本企業が直面する「業務部門×統制」の新しいソフトウェア開発運用体制
スターバックスはソフトウェア開発に年間およそ4億ドル(約647億円)を支出してきた。しかし現在、在庫を追跡管理するマイクロソフトのシステムと、保守業務を管理するIBMのプラットフォームについて、AIを活用した自社開発システムに代替させるという。市場は即座に反応して、IBMの株価は取引開始前の時間外取引で約3%下落、ServiceNowは3.5%安、セールスフォースは4%安となった。もっとも、スターバックスの事例自体は、数千人規模の専門エンジニア組織による本格的な内製化であり、これから述べる日本企業の「業務部門主導」の姿とは、主体がまったく異なる点には注意が必要である。あくまで「買うより作るほうが合理的な領域が広がっている」という構造変化の象徴として捉えるべきだろう。

日本特有の内製化のかたち
では、この流れは日本でも起こるのだろうか。私は「起こるが、米国とは異なる形で進む」と考えている。米国の大手企業は数千人規模のエンジニアを抱えているため、AIを活用して本格的な内製化を進められる。一方、日本の多くの事業会社には十分なエンジニア組織がなく、情報システム部門とSIerに依存してきた歴史が長い。このため、日本では「エンジニアによる内製化」ではなく、「業務部門によるAI活用」が主流になる可能性が高い。営業担当者が営業支援ツールを、人事担当者が人事システムを、経理担当者が集計や分析ツールをAIに指示して構築する。つまり、ソフトウェア開発が専門職だけの仕事ではなく、業務知識を持つ社員の日常業務へと組み込まれていくのである。
統制というボトルネック
とはいえ、この変化には実務的なボトルネックが存在する。AIが生成したシステムは、データ品質・権限管理・監査証跡・セキュリティ統制といった基盤が整備されていなければ企業内で安全に運用できない。特に日本企業では、データが部門ごとに分断され、定義や粒度が統一されていないケースが多い。AIが業務部門の指示でシステムを構築できたとしても、入力データが不整合であれば正しく動作せず、監査対応や内部統制の観点からも運用が許可されない可能性が高い。また、AIが生成したロジックはブラックボックス化しやすく、説明責任や証跡管理をどう担保するかという課題も残る。
新しいソフトウエア開発体制へ
ここで一つの疑問が生じる。統制要件がこれほど重いのであれば、結局は情報システム部門が主導権を握り直すのではないか、という見方である。しかし私は、それは「業務部門主導」への回帰ではなく、「業務部門と統制人材の協働」という新しい形に収斂すると見ている。業務部門がAIに指示してシステムの雛形を作る一方で、それを安全に本番運用へ載せるための土台――データ定義の統一、権限設計、監査証跡の自動記録――は、情シスや専門人材があらかじめ整備しておく。いわば「舗装された道の上を業務部門が自由に走る」形であり、道そのものを敷くのは統制の専門家の仕事として残り続ける。この役割分担が明確になるかどうかが、日本企業がこの変化を安全に取り込めるかの分水嶺になるだろう。
変わるエンジニアの役割
これらの制約を乗り越えるため、「エンジニア」という職種の役割は大きく変わる。従来のように業務アプリケーションを一から実装する人材ではなく、AIが開発したシステムを安全かつ継続的に運用するための基盤を設計・管理する人材が求められる。具体的には、データ基盤の整備、システム間連携、セキュリティ、ガバナンス、監査証跡の管理、AIエージェントの動作ログの検証などが中心業務になる。AIによってコードを書くことの価値は相対的に低下する一方、品質や統制を担保する役割は一層重要になる。
SIerの生存戦略
この変化は、日本のSIerにも大きな影響を与える。人月を積み上げて開発するビジネスモデルは縮小し、企業がAIを活用して自ら業務改善を進める時代には、経営や業務改革、AI活用、セキュリティ、ガバナンス、監査対応を支援するコンサルティングの価値が高まる。特に、AIが生成したシステムの安全性を担保する「責任主体」としての役割が強まる。影響が最も大きいのは、元請けの指示のもとで業務アプリケーションを一から実装してきた二次請け・三次請けの階層だろう。実装そのものの単価が下がる中で、この階層に属してきたSIerは、統制・運用受託やAIガバナンス支援へと業態を転換できるかどうかが生き残りの分かれ目になる。一方、元請け層は「AIが生成した仕組みの安全性を保証する責任主体」としての立ち位置を強めることで、むしろ役割の重みを増す可能性がある。
ソフトウエア「開発」の時代から「統制」の時代へ
米国スターバックスの事例は、一企業のコスト削減策ではない。「ソフトウェアは専門家だけが作るもの」という常識が変わり始めたことを示す象徴的な出来事であり、日本企業においても、ソフトウェア開発の主役がエンジニアから業務部門へと広がる転換点になる可能性がある。ただし、その実現には、AIが生成した仕組みを企業内で安全に運用するためのデータ品質・統制・監査の基盤整備が不可欠である。今後、競争優位を築く企業は、優秀なプログラマーを多く抱える企業ではなく、監査対応にかかるリードタイムの短さ、データ定義・権限設計の成熟度、AIエージェントの動作ログをどこまで追跡・説明できるかといった「統制の実装度」を企業の資産として整備し、AIを継続的に活用できる組織へと変革した企業になるだろう。
